そのふれあい広場から道路の方を見渡してみると「八体龍王」という看板が見えます。
ボランティアガイドとして「八体龍王」のお話は知ってはいたものの、実際に訪れたことがなかったので仕事帰りに立ち寄ってみました。
この看板のあるところを曲がって30歩ほど歩くと、四つ角があります。
実はこの八体龍王の案内看板は先ほどの画像のものしかなく、四つ角をどちらに曲がったらいいのか次の案内看板がないのでさっぱりわかりません。
私もフラフラ歩き回り、三度出直しやっと発見した次第です。
場所を知らない人が八体龍王に辿り着くのは至難の業でしょう。
というわけで、このブログにて八体龍王への道をわかりやすくご案内します。
先ほどの四つ角をまっすぐ進みます。
するとT字に突きあたります。
突き当たったところで左側を向くと、右手に階段が見えます。
この階段の脇に「八体龍王」はあります。
ひっそりと佇んでいるので、注意深く見ながらでないと行き過ぎてしまいます。
八体龍王のことを生月の方々は「八体様」と呼んでいて、7人のキリシタン(そのうち1人は懐妊した婦人だったのであわせて8人)がこの場所で処刑されたという殉教地です。
現在はお産の神様として祀られており、お宮参りや七五三の時などに必ずお参りしているとの話を聞きました。
もうひとつ殉教地を御紹介します。
その名も「ハッタイ様」。
同じ響きの殉教地があるなんて、なにか「ハッタイ」という語句に意味があるのかと探ってしまいそうです。
(そういえば「はったい粉」というのもあるねぇ。)
生月町博物館・島の館HPによると、
昔ハツというキリシタンの娘が田植え時に神の川を渡ろうとして、増水した川に呑まれ
て死に、死体が河口に流れ着いた。流れ着いた場所に石祠を設けて祀る。
とあります。
というわけで八体様を訪れた後、神の川(こうのがわ)に行ってみました。
車がギリギリ通る農道をくねくね走り、神の川の河口に向かいます。
車から降りて辺りを見回すのですが、それらしい石祠がありません。
「あれー、場所違ったかな?」と車に戻ろうと後ろを振り返ったらありました!!
車を止めるとき全然気付かなかったので、見つけた時はびっくり!!
この日は二つの殉教地を訪れました。
神ではなく、当時生月に住んでいた普通の人々(違うことといえば幕府の方針に反するキリシタンだったということ)を現在もこうして祀っているということはどういうことなんだろう。
それは「何かを望む」という行為ではない事はわかります。
…過去を忘れないため…?
いや違う。
「かわいそう」という理由だけでは説明もつかないし。
祀る意味を見つけること自体が無意味なのか?
答えが出ないまま、静かに手を合わせ帰途につきました。